仙台ついでで
どうやらアンテナは無いようです
陸前原ノ町に貸し出された101系1000番台が無線アンテナを装備していたかどうかなんですが、どうもアンテナは見えませんね。
かつての常磐アンテナと違って1986年11月以降は無線アンテナのない車は本線走行できないので、除籍時点で撤去したか、86年10月で使用を終了したかのどちらかでしょうね。

もう片方は民営化までに何とか改造して105系に編入した103系です。東北博のヘッドマークを装着しております。
撮影したのが高城町ですから、この辺りは大丈夫と思うんですけれど。
かつての常磐アンテナと違って1986年11月以降は無線アンテナのない車は本線走行できないので、除籍時点で撤去したか、86年10月で使用を終了したかのどちらかでしょうね。


もう片方は民営化までに何とか改造して105系に編入した103系です。東北博のヘッドマークを装着しております。
撮影したのが高城町ですから、この辺りは大丈夫と思うんですけれど。
伊那美人の連結器を変えてみる
他車との連結ができないKATOの半流53、先頭はそれでもいいが、53007と他車を連結させてみたいこともあって、連結面の連結器をカトーカプラーボディーマウント密連用に交換できればいいなと挑んでみた。

左は飯田線シリーズの密着連結器、右は召し上げられた101系の密着連結器である。飯田線シリーズの方は、連結器で連結できるタイプで、従来型は253系以来の連結器の下部のナックルを引っ掛け合うタイプであるが、それ以外は同じ形態である。ASSYを使わなくても、双方の交換で連結器の交換ができた。

左が改造前、右が改造後のクハ47である。右側は連結器の下に伸びているのがわかるだろう。

53の連結面である。見えないから連結面は塗られていない。気になる人は自分で塗れということだろう。こちらも右側は連結器の下にフックが見えていることがわかるだろう。
これでグリーンマックスのクハ68や鉄道コレクションのクハ68の改造車を連結できるようになったわけだ。


左は飯田線シリーズの密着連結器、右は召し上げられた101系の密着連結器である。飯田線シリーズの方は、連結器で連結できるタイプで、従来型は253系以来の連結器の下部のナックルを引っ掛け合うタイプであるが、それ以外は同じ形態である。ASSYを使わなくても、双方の交換で連結器の交換ができた。


左が改造前、右が改造後のクハ47である。右側は連結器の下に伸びているのがわかるだろう。


53の連結面である。見えないから連結面は塗られていない。気になる人は自分で塗れということだろう。こちらも右側は連結器の下にフックが見えていることがわかるだろう。
これでグリーンマックスのクハ68や鉄道コレクションのクハ68の改造車を連結できるようになったわけだ。
KATOの伊那美人
かねてから話題になっていた製品が11月末に発売された。予約しておいてよかった。

左が53007の編成、右が53008の編成である。そつない。運転台側も連結面もボディーマウントの密着連結器となっており、他車との連結はし難い。


半流53の海側と山側(今は使わない言葉らしいが)である。奇数偶数をちゃんと作り分けている。いきなり看板役者をもってきたのは、クモヤ90の台車を流用したかったのか。

47009の海側と山側である。特定ナンバーだから、リベットがない部分まで再現しているということか。

色々話題になっていた68である。当初の予定通り、55改造車の68420であった。トイレがないのでいろいろ言われていた68042や、ラストを飾った68400ではなかった。この組み合わせって、本当にあったのだろうか。68400はコロ軸受台車なので採用しなかったのかもしれない。シリーズが続けば、ユーザーは組み替えたりするのだろうが。

顔である。左は奇数向きの2両、右は偶数向きの2両である。残念ながらジャンパーケーブルは塗られていない。101系では塗られていたのに。そして、55改造車の幌枠のエラまで別パーツで再現されている。
貫通路に関しては、手を加えるので、次回に。


左が53007の編成、右が53008の編成である。そつない。運転台側も連結面もボディーマウントの密着連結器となっており、他車との連結はし難い。




半流53の海側と山側(今は使わない言葉らしいが)である。奇数偶数をちゃんと作り分けている。いきなり看板役者をもってきたのは、クモヤ90の台車を流用したかったのか。


47009の海側と山側である。特定ナンバーだから、リベットがない部分まで再現しているということか。


色々話題になっていた68である。当初の予定通り、55改造車の68420であった。トイレがないのでいろいろ言われていた68042や、ラストを飾った68400ではなかった。この組み合わせって、本当にあったのだろうか。68400はコロ軸受台車なので採用しなかったのかもしれない。シリーズが続けば、ユーザーは組み替えたりするのだろうが。


顔である。左は奇数向きの2両、右は偶数向きの2両である。残念ながらジャンパーケーブルは塗られていない。101系では塗られていたのに。そして、55改造車の幌枠のエラまで別パーツで再現されている。
貫通路に関しては、手を加えるので、次回に。
地鉄の京阪3000
京阪80303000の最後の一本の先頭車と二階建て中間車が、二昔前に多数の仲間が向かった富山地方鉄道に譲渡された。

左は8000系登場前の京阪間で阪急6300、JR117系と覇を競った時代(88年10月、深草)である。右は地鉄移籍後(この後4枚はいずれも91年7月撮影、これは上市)の10031=10032である。台車をはきかえて全車電動車になったので、定格出力は600kwある。

傾いているが左は電鉄黒部での10033=10034で隣には14790がいる。右は宇奈月温泉近くの温泉街で撮った10035=10036だが、ここでは泊まっていない。

京阪色より気になったのが新色だが、在来車もこのカラーリングになるとは当時思っていなかった。
右は今回富山に行った最終編成の、最終定期営業運転の4日前(2011年3月6日、守口市)の一枚である。乗客には帰宅に乗り込むだけの電車であろうが。


左は8000系登場前の京阪間で阪急6300、JR117系と覇を競った時代(88年10月、深草)である。右は地鉄移籍後(この後4枚はいずれも91年7月撮影、これは上市)の10031=10032である。台車をはきかえて全車電動車になったので、定格出力は600kwある。


傾いているが左は電鉄黒部での10033=10034で隣には14790がいる。右は宇奈月温泉近くの温泉街で撮った10035=10036だが、ここでは泊まっていない。


京阪色より気になったのが新色だが、在来車もこのカラーリングになるとは当時思っていなかった。
右は今回富山に行った最終編成の、最終定期営業運転の4日前(2011年3月6日、守口市)の一枚である。乗客には帰宅に乗り込むだけの電車であろうが。