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名古屋市電3000型 3~5連接車

第二次大戦中、どこの鉄道事業者も資材不足の中、輸送力増強にやっきであった。沿線に航空機工場を抱える名古屋市は特に大変だったであろう。近くを走る現在の名鉄常滑線が半ば軍管理になっていたのだから。

そんな1943年暮れ、2車体連接車10両が完成したが,せっかくの間接制御ということで、老朽化した木造単車10両を台車間6mに短縮し、2軸台車もホイールベースを短縮した中間台車にし、オリジナルの中間台車をはいた編成と改造台車をはいた編成を5本ずつとした。この中間車には一応外吊りのドアが設けられていたが、窓もなく手動ドア故に混雑時は冬場でも開放、それ以外は閉鎖されていた。
本来予定されていた37kwのモーターは非力に悩んでいた1400型の後期型に回し、その1400形や単車の26kwのモーターを両端台車に2個ずつ装備した。これでも2600型の37kw×2より力があり、覚王山の上り勾配に対応できるようになっていた。これにより2600型は大津橋~金山橋~東橋の航空機工場輸送用に転用された。東橋の先の大江には三菱の航空機工場があるからだ。

それのみならず、乗務員不足もあり、機器流用予定の1016型と木造単車10両ずつを連接改造して中間車に組み込んだ。5車体6台車の全長36mの電車が車がほとんど走っていないとはいえ、広小路通りを駆け抜けた。
カーブを曲がれないこともないが、ほぼ一直線の東山公園-中村公園に限定使用され,名古屋駅からは少し歩かないといけなかったが、駅前の混雑を考えればやむを得なかった。2編成を連結して走らせる計画もあったが、さすがに長すぎると没になってしまった。

これだけ長い電車が池下の車庫に収容できるわけもなく、東山公園内に専用の車庫が設けられた。この工事には東山動物園の象も駆り出された。戦争遂行のためという名目で生き残りを狙ったのだ。これが功を奏したのかどうかはわからないが、東山動物園の象は戦争を生き延びるのである。

戦後、モーター装備の中間台車2台ずつを1150型に流用したため、3車体4台車に戻った。さらに輸送量に余裕の出た1956年に中間車を破棄して当初の2車体3台車に戻っている。
地下鉄の開通で広小路線の輸送量も減少したこともあり、ラッシュ中心の運用となり、浄心や沢上の車庫に転出していった。
それも地下鉄の開業もあり、路線網縮小のために1968年に2編成、1970年に残り8編成が廃車になった。
伏見の科学館に3003が保存されていたが,現在は地下鉄の工場脇の保存館で保存されている。
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