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マロネ36

戦後、GHQは外国の民間人の移動用に、寝台車の製造を命じ、直宮用寝台車スイロネフ38をベースにし、2人用個室とプルマン式2段寝台を組み合わせたマイロネ40を21両製造した。

一方、2等座席車は戦前のオロ40を戦災車6両を同番で補充した(張り上げ屋根車は通常型になっている)あと、戦前のラストナンバー37の次の38から51まで、航空機用ジュラルミン流用車体の52から56、そして57から81を製造、また転換クロスシートのオロ41を15両製造したが、製造してもすぐ接収の目にあっていた。

このころ、さらなるプルマン寝台車を製造しろという圧力がかかったので、オロ41をさらに12両製造し、捻出したオロ36を寝台車に改造する計画が立てられた。

何故にオロ36に白羽の矢が立てられたのか、それは1300mm幅の窓にあった。ガラスは幅が広くて開閉しにくわ、入手しにくいので真ん中で二分割している車もあったぐらいである。

トイレ側のデッキを埋め、デッキ跡は便所を広げて洋式便所と化粧室とした。その隣の座席1ブロックに洗面所を2台配置し、反対側には更衣室を設けた。
そこから6ブロックに二段寝台を配置し、ドア脇の1ブロックは給仕室、リネン室と喫煙室にした。
乗り心地向上のためにTR40に台車を変更し、広窓の開閉を防ぐためにも車軸発電式冷房装置が設置され、屋根上にダクトが盛り上がったスタイルになった。
このため重量区分は二段階上がりマロネ36となった。オロ36の番号をそのまま引き継いだため、12両の番号はは飛び飛びであった。

1951年に改造後、東京-大阪間の夜行急行に投入された。後年、東京-九州の急行に投入されるも、冷房発電機の機嫌が悪く、東京から関西、関西から九州の運用に限定されていた。
1960年代に入ると、更新修繕が施され、片方の便所を和式に改造し、余剰のスペースに男子小便所を設置した。また、冷房効率向上のため二重固定窓に改造された車両が6両あった。これらは51~56に改番されている。

1970年代に入ると、老朽化が著しくなってきたために、廃車が始まり、1973年に55と56がボーイ用訓練車に改番されて形式消滅をしたが、この訓練車の2両は1986年まで在籍していた。
また、工事用職員宿泊車となっていた6が2009年秋まで伊那谷で保存されていたが、現在は名古屋で保管されている。
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